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 近藤勇 |  松井ツネ |
新選組局長 ・近藤勇は1860年(万延元年)28歳の時、築土神社の氏子である松井八十五郎の長女ツネ(当時25歳)と結婚した。現存する謄本でもツネの出自は「東京府飯田町士族亡松井八十五郎長女」となっており、ツネが同地で出生した可能性は高い。松井八十五郎は1847年(弘化4年)から1861年(文久元年)頃まで徳川御三卿 ・清水家の近習番をしており(『有司武鑑』参照)、ツネ自身も以前は一橋家の祐筆をしていたから、もともと百姓の血筋であった近藤より家柄は上であろう。
嘉永2年(1849年)近江屋板江戸図(下図)によると、現在の千代田区富士見1丁目3番地に「松井八十五郎」の名がみえる(□)。両者の結婚はお見合いであるが(『新選組余話』参照)、近藤勇は1851年、ここから徒歩15分程の所にある「江戸牛込甲良屋敷」(現在の神楽坂上付近)で試衛館を営む近藤周助の養子となり、当時からこの辺を頻繁に出入りしていたから、その頃に何かの縁があったとも考えられる。
ちなみに、ツネの実弟である松井徳太郎も天保11年(1840年)同所で出生。近藤勇の死後、新選組に入隊し、函館戦争にも参加している(新人物往来社 『新選組史跡事典−東日本編』参照)。 |
 □が「田安稲荷」(世継稲荷)で□が「松井八十五郎」邸(参考:嘉永2年近江屋板江戸図)
関連ページ ↓ 【田安稲荷(世継稲荷)】
【清河八郎】
【永倉新八】
【池田七三郎(稗田利八)】
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