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 笠森おせん(一筆斎文調筆)
1769年(明和6年)2月7日、世継稲荷(築土神社末社)にて初午祭が行われ、同時に御開帳(ごかいちょう)された。「御開帳」とは神社本殿の御扉を開いて、そこに安置されている社宝や御神体を参列者に閲覧させることをいうが、その時ついでに自分の作った人形や絵画を奉納して皆に披露したり、店の商品を奉納して宣伝したりということも多く、当時18歳の笠森おせんもこの日、世継稲荷を訪れ、店の宣伝のため自分の人形を作って奉納したとされる(麹町区役所 『麹町区史』参照)。
おせんは当時江戸笠森稲荷(現 ・台東区)の水茶屋「鍵屋(かぎや)」で働いていた明和三美女の一人で、その人気ぶりは錦絵や手ぬぐい、人形、お仙を題材にした狂言まで作られるほど。おかげでこの店は、お仙目当ての客で大繁盛したという。おせんは後に幕臣の倉地甚左衛門と結婚。数人の子をもうけ、1827年(文政10年)76歳で没した。 | 関連ページ ↓ 【世継稲荷(田安稲荷)】
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