平将門を祀る江戸の古社

☆新着情報☆
更新履歴
築土神社/平将門を祀る江戸の古社         【English】

■■サイト内検索■■

HOME
リンク
sitemap
神社概要
境内案内
氏子地域
年中行事
御祈祷
行事作法
お守り
社宝
兼務社
人物由縁
将門伝説
写真集
築土祭
参考資料

人物由縁
 古代〜
日本武尊
藤原純友
藤原秀郷
 中世〜
楠木正成
太田道灌
 江戸初期
天海
徳川家康
小野忠明
お江与
徳川秀忠
春日局
徳川家綱
 江戸中期
徳川吉宗
大田南畝
笠森おせん
滝沢馬琴
 幕末〜明治
清河八郎
近藤勇
有栖川宮熾仁親王
永倉新八
和宮
池田七三郎
 昭和〜
鳩山一郎
田中角栄
人物由縁一覧


人物由縁 >>
小野忠明(1559〜1628年)

 江戸初期


小野忠明(神子上(田)典膳)(東京都立図書館蔵)


江戸時代初期の飯田町は武家地であり、その一帯には大名や旗本の屋敷が連なっていた。室町時代の創始とされる世継稲荷(築土神社境内末社)も当時は幕臣 ・松平主計頭近鎮(まつだいらかずえのかみちかしげ:1645-1716)の屋敷内に鎮座した(「近鎮」は「ちかやす」とも読む)。元禄3年の飯田町地図(下図)では、確かに「九段坂」と「モチノキ坂」の中間(ちょうど現在の中坂下あたり)に「松平主計頭」の名が見える()。


が世継稲荷のあった「松平主計頭」の屋敷でが「小野次郎右エ門」の屋敷
(参考:原書房 『江戸城下変遷絵図集』


そしてさらにその左隣に目をやると、「小野次郎右エ門」との名があるのが分かる()。「小野次郎右エ門」は、徳川幕府の剣術指南役の任にあった小野派一刀流開祖 ・小野次郎右エ門忠明の名で、以降、小野派一刀流の宗家は代々「次郎右エ門」を名乗っていることから、この場所も当時は小野家代々の拝領屋敷であったと考えられる(この屋敷はその後、元禄10年[1697年]の大火で類焼し、江戸 ・京橋へ移転)。

小野派一刀流開祖 ・小野次郎右エ門忠明は前名を神子上典膳(みこがみてんぜん)といい、三重県伊勢市の生まれとされる。当初は父とともに上総の里見家に仕え、幼少の頃より剣術に励んだ(享保元年[1716年]日夏繁高著 『(本朝)武芸小伝』参照)。

天正年間(1573〜1591年)頃、伊藤一刀斎に入門し剣の腕を磨き、1593年(文禄2年)には一刀斎の推挙で徳川家康に仕え二百石を与えられるとともに、当時14歳だった二代将軍秀忠の剣術師範になっている。1628年(寛永5年)江戸で没(69歳)。小野派一刀流は、江戸時代を通じて、同じく剣術指南役であった柳生新陰流と並び称され、「実力は小野」とまで言われた。

尚、小野派一刀流からは後に「中西派」が生まれ、さらに中西派の四代目・忠兵衛の門からは、幕末に名を馳せた北辰一刀流の開祖・千葉周作を輩出している(新人物往来社 『柳生一族 ・新陰流の剣豪たち』参照)。

関連ページ

【世継稲荷(田安稲荷)】

102-0073東京都千代田区九段北1-14-21 TEL 03-3261-3365 FAX 03-3261-8634  info@tsukudo.jp

Copyright © 2001-2007 tsukudojinja. All Rights Reserved.
http://www.tsukudo.jp/