|
 池田七三郎 |  土方歳三 |
子母澤寛著 『新選組聞書』によると、最後の新選組隊士といわれる池田七三郎は、17歳の時、築土神社氏子内の「飯田町仲(中)坂下」にあった天野静一郎道場(流派は一刀流)に入門し、天野の推挙で、そのすぐ近くにあった飯田町二合半坂の旗本・永見貞之丞(助)宅に寄宿したという。ちなみに、天野静一郎は当時飯田町に屯所を置いていた「新徴組」の剣術世話役も勤めていたが、その後、明治4年3月に切腹自殺している(新人物往来社 『新選組史跡事典−東日本編』参照)。
天野静一郎道場の正確な位置は地図上では判明しなかったが、文久3年(1863年)尾張屋板江戸図(下図)によると、永見貞之丞宅は現在の千代田区富士見1丁目1番地に位置している(□)。池田七三郎は1867年(慶応3年)新選組副長 ・土方歳三が隊士募集のため江戸を訪れた際に入隊を志願。後に稗田利八(ひえだりはち)と改名し、昭和13年90歳の長寿で没した。 |
 ■が「田安イナリ」(世継稲荷)で□が「永見貞之助」邸(参考:文久3年尾張屋板江戸図)
関連ページ ↓ 【田安イナリ(世継稲荷)】
【清河八郎】
【近藤勇】
【永倉新八】
|