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「楠木正成−桜井の別れ」(築土神社蔵) ↑クリックすると拡大します
楠木正成(くすのきまさしげ)は永仁2年(1294年)河内国赤坂水分(大阪府千早赤阪村)で生まれた。元弘元年(1331年)正成は後醍醐天皇のお召しにより鎌倉幕府打倒に立ち上がり幕府は滅亡した。然るに、足利尊氏の反乱によって各地で再び戦闘が勃発。1336年(延元1年)正成は後醍醐天皇に命じられ、足利尊氏の大軍を迎え討つべく兵庫へ向かい殉死した。
上記絵図は、正成が討伐に向かう途中、桜井の地(大阪府三島郡島本町)にて息子の正行(まさつら)に後事を託し別れを告げる時の、有名な「桜井の別れ」のシーンで、皇紀2600年(昭和16年)を記念して作成 ・奉納された(「皇紀」とは初代神武天皇が即位した年を元年とし、戦前は、現在の「西暦」よりむしろ「皇紀」が広く使われていた)。当時の天皇主権制の下で、正成は天皇に忠義を奉げた武将として崇拝されていたことが伺える。 |
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