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徳川吉宗像(永嶋孟斎筆、築土神社蔵)
田安家初代 ・徳川宗武像 (千代田区役所 『千代田区史』より) | 八代将軍吉宗は五男二女を得たが、成人したのは長男家重、三男宗武(むねたけ)、五男宗尹(むねただ)のみ。そのうち家重が吉宗の跡を継いで九代将軍となり、宗武と家重の次男 ・重好はそれぞれ築土神社氏子内の江戸城北の丸に屋敷を与えられ「田安家」「清水家」を興し(下図参照)、宗尹は一ツ橋に屋敷を与えられ「一橋家」を興した。この三家を合わせて、「御三卿」という。
中でも宗武が「田安」を名乗ったのは、宗武の与えられた屋敷が、ちょうど築土神社が田安明神と称されていた頃(1478〜1589年)に鎮座していた場所(現在の日本武道館〜北の丸公園周辺)であったことに由来。
そのため築土神社及びその末社であった世継稲荷に対する田安家の信仰は厚く、特に世継稲荷は創建当初から「田安稲荷」とも称され、当時より田安屋敷のすぐ近くに鎮座していたことから(下図参照)、田安家は以後明治に至るまでこれを専ら田安家の鎮守神の如く信仰し、田安家代々の祈祷所とした。
世継稲荷は戦災で焼失後、昭和29年に再建。同年10月11日の世継稲荷秋祭(鎮火祭)には、田安家10代当主 ・徳川達成氏も参列している(築土神社社務所 『氏神築土神社御造営概要』参照)。
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世継稲荷秋祭(昭和29年10月11日)参列者の欄に「徳川達成」の名が見える (築土神社社務所 『氏神築土神社御造営概要』より/築土神社蔵)
世継稲荷秋祭(昭和29年10月11日世継稲荷社殿前にて。前列右から4番目が徳川達成氏)
□が「世ツギイナリ」(世継稲荷)で□が田安家の屋敷(現・日本武道館) (参考:天保14年江戸大絵図)
現在の田安門(九段坂上)
関連ページ ↓ 【世継稲荷(田安稲荷)】
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