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神社概要 >> | <相殿> 平将門公(たいらのまさかどこう) |
平将門公馬上像
築土神社の「相殿神(あいどののかみ)」である平将門公は、桓武天皇第五代の子孫で、幼少より文武両道に優れ朝廷のためにもよく尽くしていた。しかし父・良将が病死するに及んで一族間に内紛が起こりやがて拡大。将門公は東国の下総にて決起し、たちまちにして関東八国を平定。自ら「新皇」と称して政治に革新を図るも、天慶3年(940年)2月、平貞盛と藤原秀郷の奇襲を受け、馬上陣頭に立ち戦い壮絶な戦死をした。時に38歳の生涯であった。
将門公は、死後、東国においては英雄として祀り上げられるも、明治になると「皇国史観」(天皇への忠義を重んじる歴史観)の影響もあり、将門公を天皇に反抗した「逆賊」のように評する風潮も一部に見受けられた。そのため、築土神社では便宜上、「天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)」を勧請してこれを「主神(しゅしん)」とし、他方で将門公は「相殿神」とされることとなった。 |
<御神徳>「武勇長久」「勝運向上」等将門公は関東にて戦場を縦横無尽に駆け巡り、多くの勝利を収めました。そしてその死後は、関東の英雄 ・武道の神様として崇められ、現在でも、「武道の殿堂」といわれる日本武道館(千代田区北の丸公園)の氏神(うじがみ)として、築土神社の本殿に鎮座しています。 | ↓ 【お守り(必勝祈願/勝運向上)】
【御祈祷(必勝祈願)】
日本武道館(昭和39年建立)
関連ページ ↓ 【将門逆賊説】
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